今回は知多半島の南東部をピックアップ
チタイチの中でも異彩を放つ区間です
裏産業道路の成り立ち
裏産業道路とは
西知多産業道路と呼ばれる自動車専用道路が伊勢湾岸の東海インター近くから新舞子まであります
それと東側に並行して知多市役所近くから新舞子まで平坦な道があります
それが裏産業道路です
自転車乗りの間ではジャンキーストリートと呼ばれてもいます。
ジャンキー→何かに夢中になる(形容詞)
ストリート→ 街路,通り;車道(名詞)
平坦しかないので走ることに夢中になる道といった意味でしょう
そんな裏産業道路の歴史は
名古屋港の埋め立ての歴史です
名古屋港埋め立ての変遷
名古屋港のことは名港管理組合が一番詳しいです
埋立の変遷
明治40年に開港し、国際貿易港として歩み出した名古屋港。発祥の地である熱田の浜(熱田神宮の南あたり)から埋立てを繰り返し、時代とともに水際線を南に移してきました。現在では、4市1村(名古屋市、東海市、知多市、弥富市、飛島村)にまたがる日本一広い陸域面積(臨港地区4,298万平方メートル)を誇ります。
(ちなみに水域面積(港湾区域面積)は8,167万平方メートルです。)
名港管理組合のHPから裏産業道路に関する部分を抜粋すると
1962年〜1971年北浜埠頭北部と南部
北浜は造船所と食料関係の会社が入っています
1972年〜1981年北浜埠頭の残りと南浜埠頭
石油関係の会社が入っています
1992年〜2011年南5区(新舞子マリンパーク)
もともと観光地であった新舞子をさらに開発しました
埋め立てられた理由
港の海底の土砂の有効利用
川から常に土砂が流入します
大型船が通れるように常に海底を掘って深さを保っています。
その土砂の処分方法の一つとして埋め立てがあります
工業地の利用
名古屋港の輸出額は日本一です
https://www.mlit.go.jp/statistics/details/content/001517681.pdf
ほとんどが車関係ですが、それを下支えする工場も多くあります
裏産業道路周辺にはさまざまな企業があります
北浜埠頭と南浜埠頭の大部分を占めているのが石油、発電関係です
埋立地なのにまっすぐじゃない
埋立地のため直線で道路を作れたはずです
しかし、実際には数箇所曲がっています
曲がってる理由調べました
臨海鉄道の駅
空地を避けるように道が曲がっています。
一部には線路があったため、鉄道があったと思われます
調べてみると名古屋臨海鉄道のHPおよびパンフレットに記載がありました
昭和44年(1969年)6月延伸,運輸営業開始
名鉄 古見駅からすぐに知多駅が存在していました
現在は営業休止線です
駅があった場所を避けるように道路は曲がっています
日長の街を避ける
日長川というちょっとした川があり、河口が少し海側に突出しています
周辺に神社や集落があるため、産業道路も裏産業も少し迂回してます
川については別途深堀していきたいです
砂浜を回避
新舞子の浜は景観が美しく、埋め立て以前より観光地として人気があったようです
一時期は水族館もあったとのことです
そんな海岸を残すために、南5区は少し離して無人島にしたそうです
まとめ
自然が多い知多半島ですが、この区間は人によって造られております
それゆえに知多一で周る区間の中では異彩を放っています
裏産業道路を作ったのは多くの企業あってこそです
走っていると多くのトラックを見かけます
きっと周辺企業へ用事があるのでしょう
邪魔しないように走らねばいけませんね
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